第6回:2005年11月21日~11月30日(9日間)
日本エチオピア国交回復50周年記念
日本エチオピア協会親善使節団
人間の一生というのは奇妙なものです。若い頃の一度の出会いがその後の人生コースの根源を決定することも良くあることだと、自らの人生を振り返って思います。 そんな出会いが私とエチオピアにはありました。今から約34年前の1972年私はJICA青年海外協力隊エチオピア派遣第一隊天然痘撲滅監視員の8名の一人でした。 協力隊が1回の派遣で100名を超えたと、当時の伴事務局長が喜んでいらっしゃったのを覚えているし、出発前に東宮御所で接見賜った皇太子殿下(現天皇陛下)から 美智子妃殿下とのご成婚後にご訪問された国がエチオピアであったことや、その時のお話をとても懐かしそうになさったことも良く覚えています。
協力隊での2年間、天然痘をこの地球から撲滅するという貴重な体験に加え、その後自ら始めた会社(株)内藤、内藤アカデミーで子供たちといっしょに始めた エチオピア支援の規模が拡大していったのは、地元の川崎中ロータリークラブに加入した頃からでした。協力隊参加から20年経った1992年にロータリークラブの仲間のご支援を頂いて、 若き日々に協力隊隊員として天然痘の種痘をして歩き回った山村部の農村の小学校へ教育支援の活動に出かけました。(第一回支援ページ参照)持参した文房具や スポーツ用品を手にした時の子供たちの目の輝きと、どこまで明るい笑顔に胸を打たれると共に、20年前より劣っているかも知れない教育現場の“物のなさ”に愕然としました。 教育は人と人、心と心とは言え、余りに何もない(教材も机も椅子もない)状況に心を痛めました。
それから私は(社)日本エチオピア協会の一員になり、エチオピア協会やロータリークラブの仲間、私の教室の子供達からの募金を携えては、エチオピア農村部の小学校へ長机を 寄贈するプロジェクトに取り組んでいます。
今回日本エチオピア国交回復50周年記念に当たり、親善使節団の副団長として25名の方々とエチオピアを訪問しました。
(写真1)
① 在エチオピア日本大使館、泉堅二郎ご夫妻により歓迎レセプション(写真1)
② 国交回復50年記念式典:大統領宮殿日本庭園オープニングセレモニー1950年代、親日家であられた故ハイレ・セラシェ皇帝の命により宮殿内に設けられた日本庭園。
1960年11月24日当時の皇太子殿下と妃殿下が記念撮影をなさったのと同じ場所、同じ背景で使節団一行も記念撮影を行う。故 兵頭壽美(幸彦の親戚で画家)も使節団員として同行し、
桜の絵を当時の大統領ギルア・ウォルドギオルギスへ贈呈する。(写真2、3)
③ 南部グラゲ地方ウェリキテ・イエワニェ小学校
今回は在エチオピア日本大使館の草の根無償援助により設立された小学校(首都180㎞南西)を訪問。私がライフワークとして支援している子供たちの笑顔を
知らない家内が参加してくれたことは大きな喜びでした。4時間のバス旅行の終点で待っていてくれたのは想像できないほどの人数で、
私たちを出迎えてくれた生徒と保護者たちでした。今回は大使館の要望で240脚を贈呈致しました。(写真4)
④ アベベチゴベナ孤児院訪問
1980年ギシュマリアム教会への巡礼の旅の途中、アベベチゴベナさんが旱魃と飢饉に苦しむ地方で道端の息絶えた母親から乳を吸っていた2人の乳児を引き取ったことで始まった孤児院。
現在では幼稚園、学校、女性自立のための職業訓練施設や農園、生殖や家族計画を学ぶ施設運営へとエチオピア各地に広がっているそうです。
ここでは私たちが持参した楽器やスポーツ用品、文具など幾ばくかの寄付を贈呈。8度エチオピア訪問をして、少しはエチオピア通を自認していた私が、
今までに経験しなかった新たな感動を味わった瞬間でした。アベベチゴベナさんの気負うでもない穏やかな話しぶり、自らも貧しい生い立ちでありながら、
人の出来ないことを飾り気ない態度で進めていく姿は、まさにエチオピアのマザーテレサでした。
⑤ アディスアベバでグレート・エチオピア・ラン(10㎞マラソン)への参加
日本に桜があるように、エチオピアにはマスカルという黄色い草花(9月~11月初旬)があります。私達が訪問した時はほぼ終わりでしたが、11月27日晴天のアディスアベバ市内では、
裸足のアベベの伝統を引き継ぎ、25000人の黄色いTシャツを着たランナーがアディスアベバを駆け抜けました。私も1時間56分08秒で完走(完歩)しました。
⑥ 世界遺産である岩をくりぬいて建てられた教会群のあるラリベラ、オベリスク・シバの女王の遺跡のあるアクスム訪問。
(写真2)
(写真3)
(写真4)
