第8回支援:2008年10月3日(金)~10月11日(土)(7日間)



38年間で10回目のエチオピア訪問



エチオピアへ第8回支援の旅に行ってきました。国際ロータリー第2590地区前年度ガバナー亀ヶ谷邦博・純子ご夫妻、田中信男協会理事、 友人の小岩氏、私の長女、次女と私の計7人でした。私にとっては大学生の時に世界放浪生活でエチオピアの地に足を踏み入れてから 通算10回目の訪問となりました。

第1回目は早稲田大学から交換留学生(1969~1970)としてアメリカのデポー(DePauw)大学で勉強した帰り、リュックサック一つ背負ってヨーロッパ、 アフリカ、東南アジアと半年間放浪生活をした時に、アメリカの大学で知り合ったエチオピア人の女性のお宅訪問をさせて貰った時でした。 その学生のお祖父さんはエチオピア人で初めてイギリスで医師資格を取得した人だそうです。彼女のお父さんも当時のハイレ・シェラシエ皇帝お付きの医師で、 東京オリンピックで"裸足のアベベ"がマラソン2連覇をした時にも皇帝のお供で東京に来たということでした。国全体が貧しいエチオピアでしたが、 彼はベンツに乗り、泊めて貰った自宅も西洋風の立派な家でした。スーダンとの国境町から、音楽をガンガン流して走る満員の乗り合いバスに乗って 彼女の家に向かった2日がかりの陸路の旅で出会った多くの人々とのふれあいが、私の心に新鮮な想い出として残ると共に、彼女の家族の温かいもてなしが、 その後青年海外協力隊エチオピア派遣への参加と繋がってゆきました。

ethiopia
Dr.Yohanes Worknh (幸彦にとってのエチオピアの父)

(エチオピア派遣時~エチオピア支援活動開始時の記録は他頁参照)

首都のアディスアベバの学校には、大抵3人掛けの椅子付き長机(Combined Desk)があります。首都を離れれば離れるほど、生徒たちは地面に直接座ったり、 外から石を持ってきて座ったり、良くても丸太に座る程度の設備しかありません。トタン屋根と泥壁に囲まれた校舎です。明かり取りの窓からの明かりの中、 寿司詰め状態で勉強し、勿論水道も電気もトイレすら見当たりません。でも子供たちの笑顔は最高です。彼らの笑顔に出会うと、国境も肌の色も国籍も関係なく、 子供は人類の将来であり、未来に続く宝物だと感じます。

今回到着した翌日4日にアベベチゴベナ孤児院の学校での机贈呈式に出席しました。90脚の3人掛け机、教師用机4脚、スポーツ用品、また孤児院へは 「NPO法人世界の子どもたちに暖かいセーターを送る会」より幼児用のセーター等を寄贈しました。生徒たちは赤い制服を着てズラッと整列をし、 歌を歌って私たちを出迎えてくれました。現在私はこの施設の支援者の一人になっており、今回が3度目の訪問になります。子供たちが親がいない寂しさを見せることもなく、 アベベチゴベナさんを母と慕って健気に前向きに生きようとしています。私たちの方が勇気や元気を貰い、生きることの大切さを実感させられます。

また、第4回目頃より、川崎フロンターレの社長(武田信平氏)のご厚意で、Jリーグの中古サッカーボールの寄贈も行っています。サッカーは世界のスポーツです。 中古と言っても、Jリーグのボールはしっかりしていて、男子には一番の喜びです。一つの学校に5個ずつくらいしか持参できませんが、一番喜ばれます。 女子には現地でバレーボールを買います。もちろん空気入れも一緒に寄贈します。フロンターレの中古ボールを蹴っていた少年の夢が、実現することがあるかも知れません。

さらに最近は地元中学校PTAや仲間の協力で中古の楽器(ピアニカやレコーダー)を集めてもらい、持参します。また新品の衣料品も集まります。

今回は、アディスアベバ西500㎞のガンベラの学校へ3人掛け机100脚、スポーツ用品(上記Jリーグサッカーボール)、楽器などを贈呈。同時に児童画の交換も行いました。 我々も8日にガンベラ入りをして贈呈式に参加の予定でしたが、外務省から渡航延期勧告が出ていること、また体調不良者が続出し、断念せざるを得ませんでした。 今回は予想外の事態が多発してしまい、反省点も多く残る、協力隊以来30年数年ぶりに「アフリカの洗礼」を受けた10度目のエチオピア訪問でした。

第8回支援活動記録(アベベチゴベナ孤児院訪問他)

ガンベラへの机基金活動記録